日々の慈しみ

両親が離婚することになった

0717

私たち家族は、50代の父、40代の母、22歳の私、18歳の妹の4人である。
もともと両親は同じ保険会社に勤めていて、社内結婚し、母は退職した。
社内結婚とはそういうものらしい。寿退社なんて名前だけの気持ちの悪い言葉だと思った覚えがある。


父は、東大東工大出身の祖父母のもと、紆余曲折あり某理科大学へ進学し、そしてついに学歴コンプレックスの限界を迎えた。つまり私の知るところ、父はずっと異常学歴コンプレックスの狂人だった。そしてそんな父と結婚した母は、惜しくも受験に失敗し専門学校卒業であった。両親の年齢差は8歳。のちに、母方の実家で親戚が集まった際に、「なぜ母と結婚したのか」と誰かに質問されていた。上機嫌に酒を飲みながら、かといって泥酔している様子でもなく、はっきりと父は「やはり、若かったからですね!」と笑いながら答えていた。場が凍りついた。

 

私は小さい頃「勉強しなさい」と言われたことがなかった。
確かに言われない方が良い。言われなくてもそこそこできるならそれが一番良い。
ただ、私の家はそうではなかった。外向けに「うちの子に『勉強しなさい』と言ったことないんですよ」と言いたいがための言質でしかなかった。
その代わりにあったのが、毎月にあった父からのお叱りで、土日になると、怖い顔をした父に「座りなさい」と言われて、正座を強いられる。
そして「俺がお前の歳の頃にはもうとっくに小学校の授業の内容なんて終わらせて、中学の予習をしていた。お前はもうこれからもずっとどうしようもない。どうせ大した高校や大学にも入れず、年収300万の暮らしを送る。わかるか?これが年収300万の暮らし、これが年収500万の暮らし……」と言った具合にくどくどと叱られるわけだ。
今なら爆発した学歴コンプレックスのただの矛先だったとわかるが、当時は内容も何もわからず、ただ大人の男性に大きな声で厳しく罵られることや、母に助けを求めても無視されることが、ひどく苦痛だった。妹が生まれると、贔屓の効果を最大限楽しむかのように、妹の前で私だけ延々と説教をされた。そして、なぜか妹はそのお叱りの機会からついぞ逃れきった。なぜだかわからなかったが、最近母から告白されたことによれば、「またお姉ちゃんのようにあんなことを繰り返して妹まで性格が歪んだらどうするつもりだ。ようやく妹がまともに純粋に育ってくれたんだから、もう二度とあんなことしないで。」と母が懇願したらしい。呆れた。私をなんだと思っているんだ?


しかしながら、そのおかげか学校の成績で困ったことはほとんどなかった。
毎朝百ます計算と、唯一許されていたゲーム(簡単な四則計算の式を持ったキモいモンスターを計算して倒す内容)を一定数こなさないと学校に行けなかったし、宿題以外のドリルも与えられただけ全部やっていたので「勉強しなさい」と言われるだけよりはるかに強制させられていたし、学校生活でも、テストが時間内に早く終われば、用紙を裏返して本を読んでいいルールだったので、なるべく早く解いてずっと本を読んでいた。休み時間も本を読んでいた。それ以外に時間の潰し方を知らなかった。

 

そんな感じで育ったので、もちろん歪んだ性格になり、小学校高学年頃からはほとんど父と会話しなかった。最初は怒られても、ずっとその姿勢を貫くと、親子であれ関係はほとんど完全に希薄になる。大変虚しいことであるが、現在も私が身をもってそれを証明し続けている。